遺言を書こうとしてふと手が止まる。妻や家族にあてて書いている遺言ですが、愛人にも何かしら残したい…そんな場合、どうしたらいいのでしょうか?
おかしな残し方をしたら、愛人と家族が泥沼の争いになってしまうなんてことも考えられます。
そこで今回は、家族以外の人へどう遺言を遺すかを、行政書士の監修のもと、落語調のストーリー形式で解説します。
熊五郎「ご隠居! 今日はいい魚が入ったから、一番に届けにきたぜ」
ご隠居「おや、手振りのクマさんじゃないか。いつも悪いね」
熊五郎「いやいや、お世話になったご隠居が一人で暮らしてんだ。心配するのが若え衆の務めってもんよ。それにしても、このでっけェお屋敷、ひとりじゃ寂くねえのかい」
ご隠居「そうだねえ…一人で暮らすか…まあ、うん、そうということでもないというか…」
熊五郎「なんでえ、奥歯に魚の骨でも引っかかったような物言いじゃねえか。猫でも飼ってんのかい?」
ご隠居「いや…そうだな、クマさんには打ち明けておこうか。実はね、あたしにはいい人がいてね」
熊五郎「知ってるよ、ご隠居」
ご隠居「え? そうなのかい?」
熊五郎「ご隠居がいい人ってのは、俺っちばかりか、江戸中が知ってらあ」
ご隠居「そうじゃなくて、あたしがいい人じゃなくて」
熊五郎「悪い人なのかい?」
ご隠居「そうでもなくて…いや、あのね、要するに、女の人と暮らしてるってことなんだよ」
熊五郎「こっりゃたまげた! なんだいなんだい、ご隠居も隅に置けねえな…って、あれ? 奥方様とは、縁切りしちまったのかい? お嬢様は…そっか、前に大店の問屋さんに嫁入りしたんだっけか」
ご隠居「うちの人とは別れていないんだがね、まあもう長いこと一緒に暮らしてはいないんだ。あちらさんも、だいぶまとまったお金を渡していて、それで料亭なんて切り盛りしてるから大したもんだよ」
熊五郎「で、ご隠居は、その、いい人と暮らしてるけど、どんな人なんだい?」
ご隠居「ちょっと呼んだ方が早いね。おうい、出ておいで」
小梅「はい…熊五郎さん、初めまして」
熊五郎「こっっっっっっりゃたまげたなんてもんじゃねえ! ご隠居、いや、このジジイ! こんなかわいい子たぶらかして。まったく老い先短いくせに、俺なんてなあ、俺なんてなあ…」
ご隠居「いやあ、うちで奉公しながらあたしの世話をしてくれていて、まあ、そういうわけなんだよ。そこでクマさんにひとつ相談があるんだ。こないだクマさんが話してくれた、行政書士の長岡屋さんがいたろ? あの人を紹介してくれないかねえ」
熊五郎「そりゃ構わねえけど、なんでだい?」
ご隠居「実はね、遺言を書こうとしているんだが、小梅にもあたしの財産を残してあげたいんだ。妻も娘も経済的に困ってやしないが、小梅はまだ若い。あたしにもしものことがあったとき、まとまったお金を受け取って、生活に困らないようにしたいんだよ」
小梅「熊五郎さん、よろしくお頼み申します」
熊五郎「なんだい、まったく見せつけてくれやがるぜ。まあ、わかったよ…ということで、カラスがカアで夜が明けて、とくらあ」
目次
愛人に相続権はある?
長岡「ご隠居、初めまして。昨日クマさんからお話を聞きました。遺言で小梅さんに財産を残したいんだそうで」
ご隠居「ああ、お手間をおかけしますが、どうですかねえ?」
愛人には遺産を受け取る権利がない
長岡「まず前提となるのが、日本は法律婚制度を採っているため、現状、法律で守られるのは原則として婚姻関係にある者や子どもなど、一定の血縁関係にある者である法定相続人にのみなんです」
ご隠居「そうだね。愛人には遺産を受け取る権利がないのは、あたしもわかってるんだ」
長岡「はい。相続は、故人の配偶者や子どもなど、家族の生活を守るという観点から設けられている制度です。ですから、法律で配偶者や子どもを法定相続人として保護し、故人の遺産を相続できる権利を与える。こう規定することで残された家族を守っているわけなんですね」
小梅「そうですね。そこはご隠居とも何度も確認してきました」
遺言自由の原則
長岡「ですが、遺産は本来故人の持ち物です。所有権を有する自らの持ち物を、その所有者はどのように処分するかは自由であるというのも、また民法の大原則なんですよ」
熊五郎「なんでえ、民法ってのも筋が通ったこと言ってやがらあ」
長岡「愛人に財産を承継させる旨の記載がある場合、法定相続人の規定よりも遺言書の内容が尊重されるということも、またしかりなんです。ですがあくまで相続の趣旨は、家族を守るための制度。一定の割合で配偶者や子どもには遺産を受け取る権利が保障されていることを忘れないよう、話を進めなくてはいけません」
どんな場合に愛人に遺産を渡すことができるか?
長岡「愛人に遺産を渡すための方法は2通りあります。ひとつは、遺言書に愛人に財産を遺贈すると記載すること。もうひとつは、愛人と死因贈与契約を結ぶことです」
遺言書で遺贈する方法、または死因贈与契約が結ばれている方法
ご隠居「遺贈というのは、遺産の一部又は全てについて相続人や、相続人以外の人や団体に無償で自己の財産を譲ることだったね」
熊五郎「詳しいねえ。さすがは年の功ってやつだな」
小梅「相続人をも含む人や会社・団体など、誰に対しても財産を譲ることも可能なんですよね」
熊五郎「詳しいねえ。さすがは年のこ…え? か、賢い…かわいいうえに頭がいいだなんて、だんだんご隠居が憎ったらしく見えてきたぜ」
ご隠居「やめとくれよ」
長岡「よく勉強されてますね。それだけ真剣にお考えということでしょう。全財産を愛人に渡したい場合には、包括遺贈の方法があります。また、特定の財産を愛人に渡したい場合は、特定遺贈という方法があります。詳しく書くと、朝になってしまいますので、特定遺贈・包括遺贈についてはこちらをご参照ください」
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遺贈や死因贈与契約で無効になるケース
ご隠居「さっき長岡さんが言っていた死因贈与契約ってのはどんなものなんだい?」
長岡「死因贈与とは『私が死亡したら〇〇に財産を渡します』といった内容の贈与契約です。死亡したことを条件として財産を渡す、遺産を渡す側と渡される側の生前の約束ですね」
小梅「そういう制度があっても、奥様やお嬢様にとっては、受け入れがたいんじゃないかと…あたい、やっぱりとんでもないことを…やっぱりこのお話はなかったことにしたほうが…」
ご隠居「おおお、小梅や。やさしい子だよ。お願いだから、そんなふうに言わないでおくれな」
長岡「いま小梅さんがなかったことにとおっしゃいましたが、遺贈する旨の遺言書や死因贈与契約が法的に有効である場合には、愛人に遺産を渡さなければなりません。でも無効になるケースもありますよ」
小梅「でもご隠居のことを考えると、無効になんてなってほしくない…」
熊五郎「…乙女心ってなあ複雑だねぇ」
公序良俗に違反があるケース
長岡「無効にできる場合は、公序良俗に違反する場合と、遺言書の形式に不備がある場合です。公序良俗に反する行為とは、簡単に言うと道徳的に反する行為です」
熊五郎「ご隠居と小梅ちゃんの関係は、だいぶ反してねえかい?」
ご隠居「…ぐうの音もでんのう…」
長岡「例えば、愛人との交際を継続させるための条件として遺産を渡し、それにより配偶者や子どもの生活が脅かされるとしあら公序良俗に反すると判断されるでしょう。ただし、愛人に財産を渡した行為自体がそもそも公序良俗違反であると判断されるわけではありません」
小梅「あたいは…そんな条件だなんて! 本当にご隠居をお慕い申し上げて…だってご隠居は、身寄りのないあたいに、本当にやさしく…うううう」
ご隠居「よしよし、そうだね、小梅は悪い女なんかじゃあないよ」
長岡「お2人のように、同居関係にあり生活を共にしているような場合であって、愛人関係を継続するための条件としてなされたものではなく、その遺贈が家族の生活を脅かすものではない場合、遺言書は有効であると判断された判例もありますからね」
形式的に不備があるケース
ご隠居「あとは、遺言書の形式に不備がないよう気を付けるってところだね」
長岡「遺言は法律に定める方式に従っていなければ有効な遺言であるとは言えず、無効と判断される可能性があります。わかりやすい無効例は、例えば押印や日付がない場合とか、意識が朦朧としているような状況で遺言書を作成した場合などですね」
愛人に全財産を受け継がせることはできる?
ご隠居「あとは、遺産をどれだけ小梅に遺してやれるかだな。長岡さん、全額残すってことはできるのかい? いや、制度上、それはないか…」
長岡「はい。相続はそもそも残された家族の生活を守るために設けられた制度であり、愛人を守るためではありません。配偶者や子どもたちを最低限であっても守る必要があります」
熊五郎「まあ、そりゃそうだな」
遺言でも遺留分は侵害できない
長岡「そこで、『故人の意思』と『故人の死後における家族の生活の保護』、このバランスをとるために、遺留分という制度があるんです」
小梅「遺留分?」
長岡「遺留分とは、一定の範囲の相続人が相続財産から一定の利益を得ることを法律上確保する制度です」
合わせて読みたい:遺留分とは何か?遺留分の割合と遺留分侵害額請求権について解説!
長岡「配偶者や子ども、故人のご両親から遺留分を請求された場合、遺贈や贈与を受けた相手方は拒否することはできません。愛人とはいえ、同居していたり、夫婦同然の生活をしている相手であっても同様にご家族から遺留分を請求された場合には拒否することはできません。遺留分を請求するか否かはそれぞれの相続人が決めることですが、遺留分の請求がない場合には、ご希望通り全額を愛人に譲り渡すことはできます」
ご隠居「とはいえ、衝突する可能性もなくはない。家族にとっても小梅にとっても、精神的な負担は小さくなかろう。何か負担を減らすことはできないものか…」
遺言で遺言執行者を指定しておくことも大事
長岡「あらかじめ遺言執行者を選任してはいかがですか? 遺言執行者とは、遺言書の内容に従って相続手続きを行う人のことです。仮に、揉めたとしても、矢面に立つのは遺言執行者です。小梅さんにとっても、ご家族にとっても負担軽減となるでしょう」
熊五郎「ほう、そういう制度があるのか。だったら安心だな、小梅さん」
小梅「はい」
長岡「遺言書が発見されなければ、通常の法定相続人間における遺産分割がなされてしまいます。遺言者が亡くなってしまった場合に遺言執行者に通知が届く等、何かしらの手立てを講じておくと、より安心でしょう」
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愛する人に財産を渡す際は遺言書を活用
ご隠居「…いやはや、恐れ入ったとはこのことだ。長岡さん、本当にありがとう。胸のつかえがとれたようだよ」
小梅「あたいも、ずっとご家族のことが気になっていました。ご隠居とこうなってしまった気持ちに嘘偽りはないけど、おかみさんやお嬢様を不幸せにしたくないのも本当の気持ちなんです」
長岡「そうですね。トラブルに発展しないように、愛人に対する遺言書を作成する際には、専門家である行政書士に相談したほうがいいでしょう」
ご隠居「そんな専門家だなんて言い方! ここまで世話になっていたら、長岡屋さんにお願いするに決まっているじゃないか。ささ、今日のところは、ねぎらいで一献つがせておくれな。クマさんもいいだろう?」
熊五郎「よっ! そう来ると思って、今日は新鮮なハマグリを仕入れてるぜ。こいつをアテにいこうじゃねえか」
小梅「うわあ、おいしそう! あたい、酒蒸しにしてきますね」
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